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ビジネスマッチングコラム vol.52
「製本屋の若き社長が事業承継を決断」
わたしがその社長に会いに行ったのは、電気保安の営業担当から「製本業の社長にあとつぎがいない」という情報が届いたからだった。社長に会ってみるとまだ若く、事業承継を真剣に考えているようには見えなかった。社長もそれほど本気で考えている素振りではなかったため、しばらく様子をみることにし、その日は帰った。桜散る季節である。
半年ほど経った頃に再び訪問した。話を伺うと、あとつぎについて少しずつ不安が募ってきていることがわかった。世の中がペーパーレス化、デジタル化の時代になり、印刷業界がどんどん縮小傾向にあることも不安を後押ししているようだった。
秘密保持契約を締結し、さらに深く聞いてみると、社長にはご子息がいらっしゃるが「後継者には絶対にならない」と強く言った。奥さまもあとつぎについて心配していた。創業者は社長のお父さまで、社長は10代の頃からこの会社で働いていた。お父さまは創業後すぐに亡くなり、経理を担当していたお母さまが社長に就任したそうだ。それからはお母さまと社長が経営を行い、社長と結婚された奥さまも一緒に働くようになり、家族みんなで会社を守っていた。今は社長と奥さま二人で守っている。社長にとって、会社は人生そのもので、家族同然である。
後日、会社の資産評価を行い、社長に提示した。社長は「GIFT mapなら買手候補を探せるのでは」と、期待を持って仲介契約を締結してくれた。弊社のイメージキャラクターである河村隆一さんのCDをお渡しするとよろこんでくださり、緊張でこわばっていた表情が少し緩んだ。
帰りの道中では、イチョウの葉が黄色く染まるのが見えた。社長と奥さまを安心させるために、若葉の季節が訪れる頃にはあとつぎを探してあげたい。近所には同業の会社が多いため、すぐにでも買手を見つけることができるだろうとこのときは思っていた。
会社は製本屋。売上高が近年少しずつ下がってきてはいるが、それでも従業員一人あたりの生産性が高い。そしてキャッシュフローが稼げている会社である。堅実な顧客基盤も魅力であり財務情報を見ても、買手候補先はすぐに見つかるだろうと思った。
ロングリスト(買手候補となりそうな企業の一覧リスト)を作成すると、1,500件を超えるものとなった。買手候補先が“見つかるだろう”という希望的観測から“見つかる”という確信に変わった。
案の定、対象会社に興味を持つ買手候補は次々とあらわれた。
しかし、話を進めるもお断りを受ける。これをくり返すうちに若葉の季節はとうに過ぎてしまい、イチョウの葉が再び黄色に色づきはじめた。すぐに買手が見つかると確信してからあっという間に1年が過ぎてしまったのだ。
買手候補からの断りの理由は「売手社長の年齢はまだ若いのだから、もっとがんばって会社を続けたらいい」というものがほとんどだった。事業の採算がよいことや従業員の平均年齢が若いことは多くの買手候補が利点として挙げていた。しかしM&Aの難しさのひとつは、価値を感じたとしても、それだけでは成立しないということだ。買手社長が売手社長の思いを引き継ぐことができないと成立しない。
あとつぎ探しを若いうちからはじめることは賢明である。あとつぎ探しは気力も体力も必要で、長引けば疲弊してくる社長もいる。お断りを受けていることを売手社長に報告すると、言葉は発しなかったががっかりした様子がはっきりとわかった。次から次へと買手候補からお断りをされてしまえば、もちろん気分も落ち込む。
そのあとも興味を持つ買手候補が続々と現れた。早く買手を見つけたいが、あせりは禁物である。こういうときこそ慎重にいくべきだ。
M&Aの交渉を進めやすくするために、財務の見直しを行った。同じ業種と比べると生産性は高いが、年々少しずつ売上高が減少し利益も減ってきている。営業利益を増やすために、社長の報酬を少しだけ下げてもらった。
その後はコロナ禍と印刷業界の景気の影響も受け、躊躇し断る買手候補が続くようになった。さらに季節が過ぎ、次の若葉の季節が訪れたとき、ついに売手会社にとって有力な買手候補先を見つけた。わたしの今までの経験から、その買手候補の社長と商談をしたときに感じるものがあった。買手候補の社長は、生産性の高さや整った設備(会社サマリーからの情報)を見て気に入っている様子である。印刷業と連携することで、印刷から製本までの一括受注が可能となる。よい点だけではなく実際にM&Aをしたときの懸念点も挙げ、論理的、戦略的に考えている。買手候補の社長はM&Aの経験はなかったが、今後の事業展開のためにもM&Aを経験することがプラスになると考えていた。
さっそくトップ面談が行われた。両社の社長が顔をあわせ話すと早い段階で意気投合し、条件交渉などもスムーズに進行した。売手社長は、買手候補の社長が「紙媒体は衰退する中でもやれることがある」と前向きな姿勢を持っていることに勇気づけられていた。売手会社の製本業の生産性の高さが、買手候補会社の印刷・製本業の従業員の意識改善につながることでグループの生産性向上が可能となる。
買手社長は、M&A後も売手社長の継続勤務を希望し、売手社長が希望している年間報酬は現在の役員報酬にくわえて業績に連動したインセンティブを提案し、売手社長も了承している。
そして、トップ面談から約1ヵ月というスピードで調印式を迎えた。売手社長はすがすがしい表情で臨んだ。「最初はうちのような小さい会社を買う企業なんて現れるのだろうかと半信半疑で、M&Aなど無茶だと思っていた。時間はかかったが、こうして買手社長と出会うことができてうれしい。印刷業界はペーパーレス化、デジタル化の時代の変化を受けて縮小していくほかないと考えていたが、買手社長と話していると、まだまだできることがたくさんあると希望をもつことができる。会社と従業員、その家族をどうしても守りたかったのでよい決断ができたと感じている」。調印式での言葉である。
のちに売手社長から「買い手候補が見つからなかったため半ば諦めていたのだ」と聞いた。仲介締結から調印式まで1年半も経ってしまった。その間、社長はどのような思いで過ごされていたのかと思うと、言葉にならない。社長の不安に寄り添っていると思っていたが、不安な気持ちが大きかったことについては反省点として今後も胸に留めておきたい。
M&Aは買手候補がなかなか現れなかったとしても、急に現れてトントン拍子に話が進むことも少なくない。まさにご縁なのだ。
これからもあとつぎ探しがどれだけ険しくても、決してあきらめずによい買手を探し続ける。(KN)
2024.11.27掲載