ビジネスマッチングコラム vol.44

飛耳長目
アドバイザーが普段使用している仕事の相棒ともいえる手帖とペンの画像

M&Aアドバイザー達のダイアリーノート

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北の大地で実直にプレス金型を制作する町工場

会長とお会いしたのは、電気保安の営業としてその会社を担当していた時だった。長くお付き合いさせていただいていたので、気を許されたご様子で今後事業を続けることへの不安を打ち明けられた。「事業のメインは鉄道の車輌ブレーキをつくることだが、青函トンネルでの仕事が終わるとその周辺では廃線となる鉄道も増え、仕事は全盛期の3分の2に減少。先細りの状況である」という。それから「ウチにはあとつぎがいないので、会社をどうするか奥さん(社長)と悩んでいる」というのだ。この時、会長は80歳を過ぎていた。雪が積もる寒い日だった。
相談事を持ち帰ったが、当時の私はM&Aの担当ではなかったのでM&A専門部隊からお客さまへ連絡をすることになった。お客さまはM&A仲介のご依頼と同時に、私が担当している電気保安管理の契約更新もしてくださった。M&Aについては専門部隊が極秘で進めるため私は内容をまったく知ることができない。私は引き続き営業としてお客さまとつながりを持ち、事業承継については直接何もできないが、事業を受け継いでくれる方と出会えることを願った。

それから3ヵ月が経ったまだ雪が残る寒い時季に異動が決まった。異動先はM&A事業部である。すぐに会長にご報告に上がったところ、会長は気心が知れている私が担当になったことをよろこんでくださった。ほんの数ヵ月前までは、M&Aについて詳しい事情を聞けない立場であり、予備知識はない状態だった。何より、M&Aアドバイザーとして初めて担当するお客さまである。とにかく何とかしてお相手を探して事業承継を成功させたい、そうした思いしかなかった。

M&Aアドバイザーとしては、売手の会社をすみずみまで知ることが何より大切である。電力コンサルタントとして何年もお付き合いをしているので事業の状況をある程度は知っていたが、事業承継をするにあたっては、会社の細部にわたる情報まですべて把握する必要があるため詳細に教えていただいた。財務諸表を拝見すると、無借金で黒字という健全な経営を継続されていた。何年もお付き合いをしてきたため、会長と社長の人柄はよく理解している。財務からあらためて非常に実直で生真面目な経営をされていることがわかった。

次は、買手候補先へ紹介する際にお見せする会社サマリー(企業概要書)と呼ばれる資料を作成する。会社サマリー作成のためインタビューを行っている際に会長から、「北海道では買手が見つからないと思う」といわれた。私はそうはいってもプレス屋さんも金型屋さんも北海道にもある、と思っていた。ところが、実際に道内全体でロングリスト(買手候補となりそうな企業の一覧リスト)を作成してみたところ、30社ほどしかヒットしなかった。そのリストの全社にあたってみたが、すべてNGだった。それ以外にも可能性がありそうな企業へ飛び込みで60社ほどあたったり、少し分野は違うが鉄工所にも足を運んだりした。1年程かけて100社以上にアタックしたが、それでもまったく手ごたえがない。
「小ロットの金型制作とプレス加工は利益が取れないから、今残っているところは、こういう高齢化の小さい所だけ。やらないよね」という断りが多く、度々報告に行くと会長はいつも静かに「そうですか」とため息まじりの小さな声で返事をされるのである。「ほらいった通りだろ」と心の中でつぶやいているのだろうと感じた。
正直、手詰まり感をおぼえていた。

それから1年半ほど経ち、北海道ではこれ以上買手候補を探すことができないところまできた。もっとも、わが社には全国でそれぞれの地域を担当しているM&Aアドバイザーがいる。本当は、私が担当している北海道で買手候補を探したかったが、全国のM&Aアドバイザーからの情報を求めることにした。いくつか買手候補企業は現れたが、どの企業も会社同士の相性がよくなかった。

北海道の短い夏が終わる頃、関東地域から1社の買手候補先が手を挙げた。
買手候補からは、「決算報告書から実直さを感じる」とのコメントがあり、機械は古いものばかりだが大事に手入れをして使っている、とポジティブな評価がされた。会長と社長の人柄のよさを決算書や設備からも感じ取ってくださったのだ。その後買手候補の社長が来道され、初めてのトップ面談が執り行われた。買手候補の社長は仕事や趣味の釣りで北海道にはよく来るそうだ。
面談の結果、会長と社長、買手候補の社長が互いにその人柄に強く惹かれ、事業承継に向けての話が進み出した。

ところが、デューデリジェンスを行った結果、専門家からのレポートで企業価値がかなり下げられていたのだ。とくに、不動産価格の評価で見解が大きく割れ交渉が難航した。お互いの評価額には数千万円もの開きがある。買手候補は不動産に価格を付けられないとしているが、会長と社長は不動産にも価値がある、と納得できない。当事者同士では交渉が平行線である。感情論にもなってきてしまっている。そこで、客観的な第三者として不動産鑑定士に依頼するよう両者を説得し、その鑑定の結果を正として譲渡価格の折り合いをつけることになった。
M&Aでは、売手側、買手側がそれぞれの利益を追求するため、お互いの意見がぶつかることが多々ある。売手は1円でも高く売りたいが、買手は1円でも安く買いたいのだ。当然の原理である。だから、それぞれの利益を求めすぎてM&Aの話がブレイクすることも度々ある。双方がその隔たりにある程度折り合いをつけることが大切である。

鑑定書が仕上がった。第三者の視点で鑑定してもらったことにより両者は納得し、その後は交渉が進み、ついに最終契約の調印式を迎えることができた。時は新型コロナウイルス流行の真最中であり、雪の降るとても寒い日だった。社長は東京での調印式の会場に足を運ばれたが、会長はご高齢のためご自身の会社からリモートで参加した。社長はとても晴れ晴れとしたご様子だった。私は人生初の譲渡契約成立で、「よかった」とただそれだけだった。
調印式が終わり、リモートの通信を切った直後、隣にいた私に会長が「今のいままで、M&Aで会社を売るなんて半信半疑だったよ」とおっしゃった。そのとき初めて「会長はずっと不安だったんだ」と知った。

お客さまの秘めた心の内を理解するのは容易ではない。お客さまの本当の声を感じ取り、寄り添うのがアドバイザー。本件が私のM&Aアドバイザーとしてのはじめの一歩である。(RK)

2024.4.10掲載

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