ビジネスマッチングコラム vol.39

飛耳長目
アドバイザーが普段使用している仕事の相棒ともいえる手帖とペンの画像

M&Aアドバイザー達のダイアリーノート

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M&Aにネガティブなイメージをもっている特殊印刷工場

「後継者不在でM&Aに興味をもっている印刷工場がある」と電気保安の営業担当から依頼があり、印刷工場へ訪問した。都内屈指の観光スポットがあり、墨田川が近くを流れていて、風情のある地域である。近くの木々が紅葉し秋の風を感じる気持ちのいい日だった。
社長にお会いし実際にお話を伺うと、M&Aを検討はしているがM&Aに対してネガティブな印象をもたれていた。知り合いの会社が少し前にM&Aで買収され、とある企業の傘下に入ったそうだが上手くいっていないと聞いたこともあり、M&Aに乗っ取りや身売りといった悲観的な印象をもっていた。社長は後継者を探すことに消極的で、半ば諦めているようだった。M&Aは一部敵対的買収もあるが、ほとんどが友好的なM&Aであるということを理解してもらう必要がある。


まずは、社長の意向や要望などを真摯に聞くことに努めた。愚痴もたくさん聞いた。社長の考えていること、後継者を探す不安、今後の事業への希望など、社長の思いをすべて受け取るため何度も訪問し話を伺った。話が二転三転することも度々あるが、社長の繊細な心に寄り添うことに専念した。
ずいぶんと通い詰めたある日、社長から突然「あなたに任せます」と期待と不安の両方が混ざった表情と声色で仲介の依頼を受けた。社長のすべての不安が和らぐことはないが、同席されていた先代社長の娘さん(経理担当)の前向きな発言もあってか、1つの可能性、手段としてM&Aを試してみようと気持ちが好転したのだろう。
社長は決心をしたものの、譲り受けてくれる相手が現れるのだろうかとどこか不安げな表情もしている。M&Aで後継者を探すと決めたとしても、必ず相手が見つかるわけではないからだ。私は2人に前向きな言葉を投げかけつつ、頭のなかではどんな会社だったらこの会社とマッチングできるのか?どうやって探そうか?と自身に問いかけていた。そして何よりも覚悟を決めてことに当たらなければという使命感が沸いてきた。


この事業は、さまざまな特殊素材への印刷と加工を扱っており、細かい顧客ニーズに対応できる点が強みで、交通の利便性も非常によい。シナジーとしては、同業で外注に出している工程の内製化や同じ印刷業でも新規分野としての参入も考えられる。印刷業のなかで幅広く買手候補先を探せると感じた。
財務状況はコロナ禍にあり売上の減少が顕著ではあったが、特段悪くなかった。原価の見直しをはじめ、積極的な姿勢で販路拡大を行えば利益体質への改善が見込める。しかしながら会社設立が古いために株式が分散しており、株式譲渡をスムーズに行えるようにまずは株式の集約を行った。


買手探索をはじめてひと月が経った頃、2社の候補が手を挙げた。最初のトップ面談は同業会社と行ったが、結果は見送りとなった。その1週間後に以前GIFT mapで譲受したことのある候補先とトップ面談を行なったが、こちらも見送りとなった。候補先から、業績低迷を招いている理由を聞かれたことに対し、売手社長の回答があいまいで消極的なものであり、若い候補先の社長の質問に終始翻弄されてしまったことが原因だった。2社のトップ面談まで順調に進んだが立て続けに見送りとなり、社長は案の定落胆している…
トップ面談に進んでも、見送りとなることはM&Aではよくあることだ。何度もトップ面談を行うことは決してめずらしいことではない。しかし、社長にとっては初めてのことなので気持ちが追いつかない。疲れと焦燥感を感じている。この先また候補先が現れても、社長の気持ちが落ち込んでいる状態ではよい候補先とマッチングすることはできない。少し時間を空けて焦らず探索を続けていきましょうと社長に話したが、社長が気持ちをもち直すことはなかった。あらためて、初めて社長にお会いしたときのように何度も訪問し、社長の話をたくさん伺った。社長が話されたいときに、気持ちがおさまるまで話を聞いて、気持ちを切り替えていただけるように努めた。


社長には“焦らず”と伝えたが、アドバイザーとしては決してのんびりすることはできない。ロングリストから候補先となる企業を探し続けた。数社が候補先としてあがったが、トップ面談までには至らなかった。また社長の希望条件も少し緩めて相手に受け入れやすくしてもらった。それからちょうど半年がたったころ、1社の候補先が興味をもった。その頃には社長の気持ちももち直すことができ、3社目のトップ面談に進めることになった。
候補先の社長は、技術力を有する一方で、営業をしなくても仕事量が確保でき一定の売上を保てている点に関して、改善のポテンシャルを感じている様子だった。売手社長からも「ぜひ話を進めていきたい」と、前進させたいという希望が出た。両者の意向が一致し、話を進めて交渉も大詰めまできた。
ところが今度は、先代社長の娘さんがマリッジブルーになってしまった。M&Aの最終局面では売手側がマリッジブルーになることは多々ある。亡くなったお父さまが大切に育て、そのあと現社長が先代社長の思いを引き継ぎ、娘さんも今までずっとその会社で働いてきた。大切な会社を今後も続けてほしい、という気持ちもあるが、お父さまの思いがこめられた会社を譲渡するのはさみしいのだろう。娘さんの気持ちも尊重したいので、娘さんの話もしっかりと聞いてきた。そのときそのときの心情に寄り添えるように娘さんからの一言ひとことを丁寧に聞いていたつもりだったが、私の何気ないひとことで娘さんを不安にさせてしまったのだ。
M&Aは大胆なことと思われがちだが、実はとても繊細なものである。譲渡しようと考えている人たちのデリケートな気持ちの奥底の想像が足りていなかったのだ。その後娘さんに対しても今まで以上に寄り添うよう努めた。


買手候補は、売手企業に人材を数名出向させる計画であったこと、かねてから売手企業の地域に進出を考えていたこと、両者で業務連携におけるシナジーもある。デューデリジェンス(DD)も行われ、株式譲渡に向けて順調にことが進んだ。


社長と初めてお会いしてから1年が過ぎた12月に、調印式が行われた。社長は、肩の荷がようやく下りたようだった。また娘さんは、お父さまが創業された思い入れのある会社がこれからも存続できることに非常にほっとされていた。調印式の朝、父の仏壇に手を合わせ今日のことを報告してきたとおっしゃっていた。最後の最後でやっと2人の笑顔を見ることができた。
調印式が終わり、社長から「気持ちが楽になった」「任せてよかった。ありがとうございました」と言葉をいただいた。そのとき、1年間の時間と労力が報われた気がした。


今回のM&Aでは、揺れ動くお客さまの心情の見極めと対応に注力した。何気ない一言でお客さまを不安や不愉快にさせてしまったこともあり、反省と同時に多くを学ばせていただいた。M&Aはモノを売買するのではなく、人の思いをつなげることだと改めて実感できた。これからも「会社や関係者の想いをつなぐ」 尊い仕事をしていることを忘れないよう邁進したい。(TS)


2023.11.22掲載

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