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ご成約事例 case29

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case29

父から受け継いだ会社を絶やす訳にはいかない
2代目社長同士が挑む初めてのM&A

株式譲渡。譲渡側は株式会社タナカケミカル、代表者:熊谷律子、事業内容:プラスチック加工および販売、所在地:千葉県夷隅郡大多喜町、設立:1971年、従業員数:3名。譲受側はケィディケィ株式会社、代表者:佐藤武志、事業内容:高機能樹脂部品製作および販売、所在地:東京都大田区、設立:1971年、従業員数:9名

専門外から飛び込んだ製造業経営

千葉県大多喜町でプラスチック加工を営むタナカケミカルは1971年の設立。代表取締役である熊谷律子氏が創業者の父からあとを継いだのは1994年のことだった。決算業務の補助には携わっていたが、自身では別に設計事務所を営んでいたため、プラスチック加工に関しては門外漢。しかし取引先や従業員のためにも会社を放り出す訳にはいかない。「技術面は社員を信用して任せ、会社を存続させることに専念しました」(熊谷氏)。それから約30年。堅実な経営を続けてきたが、自身の年齢と後継者不在により、数年前からM&Aによる事業承継を検討し始めていた。

タナカケミカル工場内。熟練の職人たちによる加工が日々行われる

会社存続の道を諦めず、出会ったGIFT map

タナカケミカルは証券会社を通じM&A専門会社に依頼したが廃業をすすめられ、県へも相談したが有力な買手は現れなかった。難航していたある日、日本テクノのGIFT mapを知り、買手探しを託すことにした。
同時期、ケィディケィの代表取締役 佐藤武志氏をM&Aアドバイザーが訪問した。1971年に東京都品川区で設立後、1975年に東京都大田区へ移転した同社。2007年に2代目社長に就任した佐藤氏はさらなる成長を遂げるために事業の拡大を検討していた。

ケィディケィ外観。周囲には住宅もあり、夜間操業ができない

事業拡大の手段としてのM&Aを知る

ケィディケィはタナカケミカルと同様、プラスチック加工を生業としている。手狭な工場の拡張と24時間稼働をめざし、10年ほど前から移転先を探してきたが、条件に合う土地が見つからず足踏み状態だった。そのことを打ち明けると、M&Aという手段を提案された。紹介されたタナカケミカルの立地や業種を確認し、直感的に「30年先の未来まで思い描くことができた」(佐藤氏)という。タナカケミカルとの契約を熱望し、すぐにトップ面談の場が設けられた。交渉はスピーディーに展開し、面談の翌月、タナカケミカルの発行済み全株式を譲渡する株式譲渡契約が成立した。

ケィディケィ工場内。高品質な製品製造でものづくりの町・大田区から数々の表彰を受けている

ものづくりに対する価値観が両者をつないだ

父が創業した会社の2代目社長という共通点で通じるものがあった。熊谷氏は「急展開に戸惑ったが、結果的によい選択ができた」と話す。父が遺した会社を次代に継げたことに安堵し、ケィディケィの旗のもと、長く存続することを望む。今後、ケィディケィ従業員が出向し業務を把握し、双方の仕事を滞りなく進められるよう体制構築を進める。「熊谷氏とは、“品質は裏切らない”という価値観が共通しています。互いの設備でどのような仕事ができるか見極め、今までの経験を活かし、事業拡大に努めます」(佐藤氏)。状況を見極め、将来的に千葉県に生産拠点を移すこともあり得ると佐藤氏は語った。

佐藤氏は従業員が安心して勤め続けられる環境づくりを約束
(左からケィディケィ 佐藤 武志氏、タナカケミカル 熊谷 律子氏)

今回の株式譲渡成立のポイント

  • Point 1 | タナカケミカルの事業内容・立地がケィディケィの望む条件に合致
  • Point 2 | 共通するものづくりに対する価値観
  • Point 3 | 佐藤氏の買い受けにかける熱意

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