ビジネスマッチングコラム vol.38

飛耳長目
アドバイザーが普段使用している仕事の相棒ともいえる手帖とペンの画像

アドバイザー達のダイアリーノート

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顧客重視のモールド金型設計製造

社長と初めて会ったのは、廃業を決めて個人なり※する名義変更のときだった。社長は覇気がなく愚痴をこぼしながら書類を受け取った。すでに事業を続ける意思はなかった。社長にはあとつぎもいない。
しかし、廃業するにも費用がかかる。廃業のための見積もりをとったところ、大きい機械を廃棄するためには1,000万円かかる。「二束三文でも引き取ってくれるところがあればよいのだが…」と頭を悩ませていた。そこでこちらからM&Aの案内をしたが「会社の価値がなく買手は付かない」と話を聞く耳をもってくれない。 事業を続けることはあきらめた、とも話していた。
※法人から個人事業主になること


社に戻り上司に「事業を続ける意思はなく、廃業準備のため従業員も今はおらず社長1人なので、買手がつかないのではないか」と報告をした。上司からは「主観で判断するのはよくない。どんな優良な売り手であってもご縁がなく買い手が付かないこともあるのだから、全顧客に当たってでも買い手を探してあげるべきだ」と背中を押された。


名義変更の手続きのため、再び社長に会いに行った。
昔、会社が元気だったころのお話を伺った。社長の表情はこの前とは違い、生き生きとしていた。今では売上が減ってしまったが、今でも顧客からの引き合いを大切にしている。廃業予定ではあっても顧客には絶対に迷惑をかけたくない、と顧客に対する思いと最後まで会社を守るという社長の熱意を感じた。


社長と初めて会ってから2ヵ月、10回目の訪問で事業売却の仲介契約を締結することになった。いざ仲介を申し込むときにも、社長は何度も「本当に買手が見つかるのか」と問いただした。廃業という苦渋の決断をやめて事業を受け継いでくれる先を見つけようとしているのだ。社長の不安や心配は計り知れない。買手が見つかるまでは当社の全顧客6万件すべてに当たることをそのとき覚悟した。


事業はモールド金型設計製造で、強みは設計から製造まで一括受注できること。買手とのシナジーは、モールド金型を熟知しているため、金型の設計・製造・修理のどの要望でも対応できることだ。事業としては今まで丁寧にやってきたので安定した顧客基盤もあり、顧客からの評判もよい。しかし、時代の流れでモールド金型の需要自体が減ってしまい、財務状況は債務超過、減収減益。財務だけを見ると買手が見つかるのかと疑問に思う。だが、それを打ち返すだけの社長の実績がある。


譲渡希望価格を抑えたこともあり、買手候補先からの注目度は高かった。買手からの反応は、設備は古いが整理整頓されていると好印象だった。しかし価格を抑えたことがかえって価格にまず目がいってしまうこととなり、肝心の事業の魅力を伝えきれないまま断られることが多かった。仲介契約締結後1年を経過した頃、ようやく初めての買手候補とのトップ面談が決まった。ことが順調に運び始めた、と思ったのだが。


一度はあとつぎを探すと決意した社長も、トップ面談ではすでに気力が落ちていた。社長にとっては買手が本当に見つかるのかと毎日が不安で、ここまで来るのにとても長く感じていたのだ。案の定、買手候補からは社長の気力と体力の低さを指摘され断られてしまった。社長に伝えると、残念な様子は見せず淡々としていた。
社長から依頼を受けたとき、何としてでも諦めないと心に決めたので、ここでアドバイザーが諦めるわけにはいかない。社長との約束を果たさなければならない。しかし時間はない。


今までと同じ希望条件で買手を探すには限界を感じていた。PC全盛の時代からスマートフォンの時代に移行したことで、PCケーブルのコネクター部を成型するためのモールド金型の需要が減少している。社長と話し合い、事業よりも不動産を中心とした事業譲渡として希望条件をつくり直し、あらたに買手候補を何度も当たった。社長は気を持ち直すとまではいかないが、もう一度買手を探すことにわずかな望みをもった。
前回のトップ面談から4ヵ月後、2社目のトップ面談が決まった。交渉が買手からいくつかあったが何とかととのい事業承継を行うことになった。
限りなく不動産売買に近い事業譲渡となったため、事業場を明け渡すために2週間で社長の親族総出で物品を片付けた。そして事業譲渡と同時に廃業をするため、社長は多忙のなかで顧客に廃業の連絡を行った。最後まで顧客のことを気に掛けていた社長の姿を見て、アドバイザーとしてモールド金型事業を譲渡できなかったことを残念に思わずにはいられなかった。


調印式には、社長と奥さまが同席された。奥さまは以前より成約を非常に楽しみにされていたので、本当にほっとされていた。社長は肩の荷がおりたのか、今まで見たことのない穏やかな表情をしていた。


全顧客に当たってでも買手を探すと約束したことを果たすことができた。これからもどんな売り手であろうとも、仲介契約をいただいた顧客には諦めず買い手を探していこうと改めて心に決めた。

2023.10.25掲載

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